成功する教育と失敗する教育の違い

月曜日はオーストラリアの幼〜高校までの一貫校のTAS

のスクール見学をしました。

広大な土地のスクール見学なので全部見終わるのに2時間近くかかるほど。

やっぱり日本の教育と違うところはたくさんあって考えさせられるものが多かったです。

大きく違うのは、小さい右も左も分からないピュアなうちに、いろんな経験をさせるのは将来の方向性を決める時に役に立つから。という理由で、勉強を通して、たくさんの事を学ばせるのが教育の醍醐味。

日本はまだどこか、「良い点数をとる」「いい学校に行けば将来安泰」みたいな「自分のレベルを貼るための学校」と考えていることが多いかなと。

あと、「なんでそれやってるのか?」って理由を考えず、ただ「昔からやってるから。」っていうのも多いのかなって思った。

例えば日本でもよくある教育と言ってるものは、「劇」ってなんのためにやるの?と聞かれて、「感性を学ぶ」とか抽象的になり、具体的に答えられる人って少ないんじゃないかなと。きっと、昔からしてるから。とかそう答える人も多いだろう。

私自身は教育者として、「なんのために?」をすごく大事にしてて、

よく新人講師にもレッスンプランを見て「これ、なんのためのレッスンなの?」とよく聞くけど、きっと講師は「1時間って時間があるから何かしなきゃ、楽しませないと」とかって考えたレッスンプランになってる事が多い。

実はそれって逆で、「こういう目的があるからこのレッスンを提供する」って具体性がないといい教育ができないし、子供達に伝わらないし、もっと言えば、いい教育にならないなら、「その時間無駄じゃね?」って思ったりする。

例えば、レッスンで「歌を取り入れます」、生徒は先生が決めた事だからやらなきゃいけない。先生も目的がない。

これ最悪レッスン。

リンキングや息の使い方で発音をよくするための学習で「歌をレッスンに取り入れる」はOK!ただし、そう考えればどの歌でも良い。というわけではなく、それらが練習できる歌を選択し、またレベルに応じても選択が必要になる。

さて、「劇」はどうしてするの?

オーストラリアの学校では「ドラマ」という授業があり、演劇のようなものがあった。理由は聞くと

  • 自分じゃない違う人のキャラクターになることで自分にはない、誰かの性格を考え知ることができる
  • セリフを考える上で、歴史や文化なども同時に学べる

など答えがしっかり返ってきました。今はSNSで写真も加工でき、内容も嘘をかける時代。自分以外の誰かになることで自分を見失うことも多い。

そういう目的があって、その目的のための手段を学ぶことが「教育」だと思う。

あと、驚いたのは「日本語」をみんな学んでいること。日本では英語を学ぶようにオーストリアでは「日本語」を誰もが学ぶ。話にはチラッと聞いてたけど、ちゃんと日本語指導の教員もいて、クラスルームもあって。

見学中に、小1くらいの生徒が日本語を学んでて、たまたまクラスの前を通ったら、日本語教員より「子供達が日本語で挨拶をしたい。と言ってる」と呼び止められ、可愛い子供たちに「こんにちは、おはようございます」って挨拶くれて、もう超絶可愛かったです。

カナダでは「フランス語」をセカンドランゲージとして学ぶし、アメリカでも「スペイン語」がセカンドランゲージ。それは住んでる場所で、いろんな人種が共存しているので、日常的によく聞くし使うからって想像しやすいけど、

なんで、オーストラリアは「日本語」なの?聞いてみたら、

日本とオーストラリアは時差も1,2時間でLCCのダイレクト便もあるくらい行き来しやすい。だから「観光業」が盛んで日本との交流も多い。日本語に限らず、観光業が盛んだから、例えば「シェフ」に興味ある子供たちにはキャンプの食事メニューなど栄養も考えて作らせているらしい。それって日本だと、将来、こうなりたいからって決め、高い学費を出し専門学校に行く人がやること。

教育って、目的があるかないかで与えられるものが大きく変わる。と改めて思った。

Nextepでも、そこは忘れず、しっかり目的あるレッスンを提供し続けたいと思います。